第1 医療事故に関する法律知識の基礎

第1 医療事故に関する法律知識の基礎

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第1 医療事故に関する法律知識の基礎

1.医療過誤を起こした場合の責任

医療従事者が医療過誤を起こしてしまった場合,どのような責任が発生するか。

交通事故を起こした場合,運転者が①民事上の責任,②刑事上の責任,③行政上の責任を負うのと同様に,医療過誤を起こした場合も,医療従事者は,①民事上の責任,②刑事上の責任,③行政上の責任を負う可能性があります。

1 民事上の責任

医療過誤(一般に,医療現場生じた事故全般を「医療事故」といい,医療事故のうち過失によって引き起こされたものを「医療過誤」と呼びます。)によって,患者に障害が発生した場合や患者が死亡した場合,患者には様々な損害が発生しますが,民事上の責任とは,これらの損害を賠償する責任です。

損害には,一般の方が想像する以上のものが含まれます。具体例としては,医療事故によって新たに発生した治療関係費・付添看護費用,治療のための休職期間の休業損害,医療事故による障害のために必要となった装具・器具等(義手,義足等)の購入費,後遺障害により労働能力が低下した場合の逸失利益(事故前の労働能力があれば得られたであろう収入との差額),死亡した場合の逸失利益(生存していれば得られたであろう収入),慰謝料等です(資料参照)。

もちろん,損害賠償請求が認められるには,医療機関の「過失」が存在し,当該過失と結果発生の因果関係が存在することが前提であり,訴訟では「過失」及び「因果関係」の有無が争われることとなります。

2 刑事上の責任

医療過誤によって患者が傷害を負った場合または死亡した場合には,医療従事者は業務上過失致死傷罪に問われる可能性があります。刑事責任というと,逮捕を思い浮かべる方が多いかもしれませんが,医療過誤の刑事事件において医療従事者が逮捕されることはあまりありません。警察官及び検察官による取調べを経て,起訴(公判請求・略式請求),不起訴の処分が決定されます。

業務上過失致死罪については,刑法211条1項において,「五年以下の懲役若しくは禁固又は百万円以下の罰金に処する」と規定されております。

業務上過失致死傷罪により起訴された場合,略式命令(裁判所の法廷における期日が開催されない簡易な裁判。罰金刑が科される。)による罰金20~50万円程度が量刑相場といえますが,近時では厳罰化傾向にあり,特に死亡事案については公判請求(裁判所の法廷において期日が開催される正式な裁判)され,執行猶予付きとはいえ禁固刑に処せられる事案も増えています。

なお,過失が認められ,業務上過失致死傷罪が成立する場合でも,結果が軽微である場合,過失の程度が軽い場合,示談が成立している場合等には,不起訴なるケースも多くあります。特に示談成立の有無は,検察官が,公判請求・略式請求・不起訴の処分を決定する重要な要素になっています。

したがって,医療従事者の過失が明らかであれば,患者と早期に示談を成立させて,刑事処分を軽減する(公判請求相当を略式請求に,略式請求相当を不起訴に軽減する)努力をすることも重要となります。

3 行政上の責任

医師法7条2項は,以下のように規定しています。

医師が第四条各号のいずれかに該当し、又は医師としての品位を損するような行為のあつたときは、厚生労働大臣は、次に掲げる処分をすることができる。

一  戒告
二  三年以内の医業の停止
三  免許の取消し

そして医師法4条3号は「罰金以上の刑に処せられた者」と規定しています。そして,厚生労働大臣が以上の行政処分を行う場合には,予め医道審議会の意見を聴かなければならないとされています。

実際に行政処分を受けた事例は,詐欺・診療報酬不正請求,覚せい剤取締法違反,麻薬及び向精神薬取締法違反,強姦・強制わいせつ,道路交通法違反が多く,医療過誤により行政処分がなされるケースはかなり少数です。なお,医療過誤に基づく行政処分としては,数ヶ月の医業停止が多いようです。

2.医療事件が発生した場合の紛争解決までの流れ

当病院にて,医療事故が発生してしまい,患者(または患者遺族)からクレームが申し立てられそうです。医療事故が発生した場合,どのような流れで手続が進んでいくのでしょうか。また,医療機関として,どのような対応が必要となるのでしょうか。

一般的に,医療紛争は以下のような流れで進行します。

① 患者からのクレーム
② 患者によるレセプト開示請求
③ 患者(代理人弁護士)による証拠保全申立て,証拠保全の実施
④ 示談交渉(示談不成立)
⑤ 患者(代理人弁護士)による訴訟提起
ア 第1審における審理(主張,立証,鑑定,鑑定人尋問,証人尋問)
イ 訴訟上の和解(和解不成立)
ウ 判決・仮執行
エ 控訴
オ 控訴審における審理,和解,判決
カ 上告
キ 上告審における審理,判決

医療機関として重要なことは,上記の各手続における対応がその後の紛争解決に重要な影響を及ぼすため,各手続において慎重に対応しなければならないということです。

まず,①患者からクレームが申し立てられた場合において,医療機関としては患者に対して誠意を持って対応することが極めて重要です。たとえ医療事故が医療従事者の過失に基づくものであっても,そうでなかったとしても,この段階で患者の気持ちを逆撫ですることは最終的な医療紛争の解決に悪影響を及ぼすことは明らかだからです。

また,③証拠保全手続に対する対応,④示談交渉,⑥訴訟審理の各手続においては,法的な知識・検討を前提とした対応が求められ,各段階における不用意な対応が最終的な解決に悪影響を及ぼすことも多々あることを認識しなければいけません。

3.医療事故が発生した場合の患者に対する対応のポイント

当院で医療事故が起き,現在患者から色々な要求をされて,その対応に困っています。患者に対してどのように対応すべきか教えて下さい。

患者に対する対応において最も重要なことは,患者に対して誠実を持つということです。患者に対して誠実に対応するということは当たり前ですが,いざ医療紛争となった場合にこれを実践することは意外に難しいものです。重要なポイントは,①患者に対して謝罪すること,②医療機関側の態度を明確に示すことの2点です。

まず,①患者に対して謝罪することは,医療事故が起こった場合の最も基本的かつ重要な対応です。医療機関は,謝罪してしまうと責任を認めたことになってしまうのではないかと誤解しているケースが非常に多いのですが,事故の原因にまで言及しない限りそのようなことはありません。「このような結果が生じて大変申し訳ありません。深くお詫び申し上げます。」という簡潔な謝罪であれば問題ありません。

次に,②医療機関は患者に対して明確な態度を示す必要です。患者からの要求に対し,「追ってご連絡します。」「上司と相談して対応いたします。」という曖昧な説明をし,対応を遅らせることはよくありません。医療機関の対応が必要な場合には,期限を明確にして「●月●日までに対応します。」との回答を行うことが必要です。また,患者から要求された事項(例えば,休業損害を支払って欲しい。)について医療機関がこれに対応できない場合には,明確に「対応できない」という回答を行うべきです。

患者より事故の原因を説明するよう求められた場合,この点に対する回答は極めて慎重に行うべきです。すなわち,安易に医療機関の過失を認める回答を行った場合,その回答を後で修正することは容易ではないからです。もちろん,医療機関は,診療契約上,患者に対して,医療行為に関して正確に説明する義務を負っており,事故原因についても説明する必要がありますので,「事故の原因については,事実関係を調査の上,●月●日までに回答いたします。」との回答をし,弁護士等の専門家を交えて医療機関の法的責任の有無を含めた詳細な検討を重ねた上で,後日,事故原因について医療機関の正式な回答を行うのがよいでしょう。

なお,医療事故にかこつけて不当な金銭要求がなされることもあります。そのような場合には,毅然とした態度で臨むことが必要で,①クレームに対して医療機関が誠実に対応してきた経緯,②クレームに対する適切な解決案を提示したこと等を文書にて送付すべきです。

4.証拠保全手続

証拠保全手続とはどのようなものなのでしょうか。患者(代理人弁護士)から証拠保全を申し立てられた場合,医療機関としてはどのように対応したらよいのでしょうか。

1 証拠保全とは

証拠保全とは,民事訴訟において、あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難な事情がある場合に、実施される証拠調べ手続です。

患者又は患者の遺族が,医療過誤があるのではないかと考え,弁護士に相談した場合,当該弁護士が行う第1の選択肢が証拠保全の申立てです。もちろん,弁護士でなくとも患者又は遺族本人が証拠保全の申立てを行うことも可能ですが,多くの場合は弁護士が代理人となります。

患者側は,医療ミスを疑う場合でも,治療経過に関する客観的資料を持ち合わせておらず,医師等に過失があったのかどうか,病院・医師等に損害賠償請求を行うべきかの見通しを立てることは不可能であるため,まず証拠保全によりカルテ等医療記録の入手・検討を行うことが必要となります。

2 証拠保全の実際

証拠保全は,何の前触れもなく,突然実施されます。具体的には,裁判所の執行官が「証拠保全決定」という書類を医療機関に送達し,証拠保全決定に記載された検証時刻(送達の1~2時間後という例が一般的です。)に検証手続が開始されます。裁判官,裁判所書記官,患者側弁護士が来院し,当該患者に関する診療記録一切の提示を求められます。

カメラマンが同行し,カメラマンがカルテ等の写真を撮り,あるいは,医療機関のコピー機を利用してカルテを謄写する等が行われます。そして,後日,裁判所により,カルテ等のコピーを添付して調書が作成され,訴訟が提起されると当該調書は訴訟担当の裁判所に送付されることとなります。

3 証拠保全手続への医療機関の対応

⑴ 証拠保全手続に協力することが大前提となります。
証拠保全において診療記録の開示を拒否したとしても,法律上罰則があるわけではありません。しかし,後日,訴訟になった後に,カルテ等を提出した場合には,合理的理由がない限りカルテの改ざんが疑われる等,訴訟上不利に働くことになりますので,誠実な対応が求められます。

また,診療記録は全て開示することが必要です。例えば,証拠保全手続において,一部の診療記録が存在するにも拘わらず存在しない,開示したものが全てである旨上申した場合において(調書に医療機関の「全ての診療記録を提示した」旨の発言が記載されることがあります。),後日,訴訟において証拠保全で開示しなかった診療記録を証拠として提出した場合にも,合理的理由がない限り当該診療記録の改ざん等が疑われ不利に働くことになります。

証拠保全時に診療記録が開示されていれば,将来的に訴訟となった場合でも,医療機関が事故に有利なように診療記録を改ざんしたのではないかとの懸念が払拭され,無駄な争点が減り,医療機関側にとってもメリットがあります。

⑵ もっとも,限度を超えて証拠保全手続に協力する必要は全くありません。
例えば,証拠保全手続において開示する文書等は証拠保全決定に記載されているものに限定されますので,決定に記載のない文書を開示する必要性はありません。

患者側代理人弁護士の中には,現場において患者側に有利と思われる文書であって決定に記載されていないものを発見した場合に臨機応変に当該文書の検証を求める場合がありますが,医療機関としては決定に記載されていないことを根拠に当該要求を拒むべきこととなります。

⑶ アクシデントレポート,インシデントレポート等の開示
医療事故を予防するために,大規模な医療機関では,実際に生じた医療事故やニアミス情報を収集,分析,管理する運用が一般化されてきています。

証拠保全手続において,当該患者に関するこのような文書(アクシデントレポート,インシデントレポート等)を開示する義務はあるのでしょうか。このような文書は,医療機関が,事故予防の観点から作成しているものであり,患者の診療を目的する診療記録ではないので,証拠保全の際に提示する義務はないと解されます。

ただし,もし,当該患者の診療録にアクシデントレポート,インシデントレポートがファイルされており一体化しているような場合には,手続中にこれを分離して証拠保全の対象から外すことは困難です。

⑷ 証拠保全手続は,決定の送達から1~2時間後に実施されることとなるため,決定が送達された後に,診療記録を精査することは極めて困難であります。医療機関としては,常に証拠保全に可能性があることを念頭に置いて,診療記録を作成することが必要です。

5.警察による取調べ

手術中に医療事件が発生し患者が死亡してしまいました。患者遺族が告訴したことにより,業務上過失致死罪の被疑者・参考人として,警察により取調べを受けることになりました。取調べを受ける際に注意すべき点はありますか。

医療事故について,患者側の告訴が警察等の捜査機関に受理された場合には,当該事件について検察官はどのように処理すべきか(起訴すべきか不起訴とすべきか)を判断しなければならず,警察において診療記録等の証拠を収集するとともに,被疑者その他の医療従事者等の取調べが実施されることになります。

手術を執刀した医師のみならず,手術に従事した看護師や麻酔医等の取調べも行われることが多いです。検察官により事件が起訴された場合の有罪率は99.9%を超えておりますが,逆を返せば,検察官は必ず有罪に持っていけるだけの証拠がなければ起訴しないのです。

特に医療事件においては,医療行為が医療機関内において行われるという性質上,医療行為の立証にとって被疑者を含めた医療従事者の供述は極めて重要な証拠となりますので,捜査官にとっては被疑者の過失を裏付ける供述を録取することが非常に重要となります。

取調べは密室において行われ,供述調書(被疑者等の供述を録取した書面)も捜査機関により作成されますので,場合によっては被疑者の真意と異なったニュアンスで供述調書が作成されてしまうことがあります。

捜査機関は,供述調書を作成した後に,必ず,その内容を被疑者に読み聞かせ,内容を確認させた上で被疑者に署名押印をさせますが,このとき,必ずニュアンスを含めて調書の記載内容をよく確認し,真意と少しでも異なる記載があった場合には訂正を申し出,納得の表現になるまで供述調書に署名押印しないことが肝心です。

もし,誤った記載がなされた供述調書にそのまま署名押印してしまった場合,裁判となった後に,供述調書の記載内容が誤っていると主張立証していくことは極めて困難となってしましますので十分な注意が必要です。

なお,1回目の取調べでは身上経歴関係についての供述調書が作成され,2回目の取調べで医療事故関係についての供述調書が作成されることが多いようです。業務上過失致死罪の成否について争う場合には,取調べの前に十分な準備が必要です。徹底的に争う場合には,取調べに先立って,警察に,事実経過及び手術に過失がなかったこと等の意見を記載した陳述書、翻訳したカルテ、医学文献等を提出しておくとよいでしょう。

警察での取調べが実施され,事件が検察官に送致(送検)された後に,再度検察官から取調べがなされ,最終的に検察官が事件の処分(起訴・不起訴)を決定します。不起訴処分あるいは執行猶予処分を勝ち取るには,検察官を説得するだけの意見の上申が必要となります。

事件を争う場合には,以上のように取調べ以前の準備,取調べに際しての注意,検察官との交渉等,様々な対策が必要になりますので,弁護人(弁護士)を選任した方がよいでしょう。

6.点滴・注射による副作用

点滴・注射をした際に、患者に副作用等(ex.造影剤による副作用)が発症した場合、どのような責任を負う可能性があるか。また、点滴・注射による副作用の発生事故を未然に防ぐための方法として、どのようなものが考えられるか。

1 点滴・注射による副作用等の事故発生の場合の責任

(1)不適切な注射剤によるアナフィラキシー・ショック
患者の症状に適応のない薬剤で、ショックの危険性があるものが投与されたことにより、患者に薬剤性ショックが生じた場合、その後の緊急処置の適否を論じるまでもなく、不適切な薬剤を選択したこと自体に過失が問われることになります。

(2)適切な注射剤によるアナフィラキシー・ショック
ア 予測可能なアナフィラキシー・ショックと認定される場合
患者に生じたアナフィラキシー・ショックが予見可能であったとされる場合、病院側の責任が問われる場合があります。具体的には、問診により薬物アレルギーその他の過敏症の既往があったことを知ることができた場合が考えられます。

イ 具体例(局所麻酔薬(キシロカイン)の場合)
局所麻酔薬の場合、抜歯や縫合措置の経験を尋ね、その際に気分の変調やその他何か変わったことがなかったか確認するなどします。

2 具体的な防止策等について(~造影剤による副作用を例に~)

(1)患者からの問診
ア 患者にアトピー・アレルギーの素因がある場合、アナフィラキシー・ショックの発生の頻度が高いため、患者にアトピーや食べ物・動植物に対するアレルギーがあるかどうか尋ねる必要があります。

なお、何に対するアレルギーかを事前に確定することは困難であるとしても、患者がアレルギー体質であることは、問診を行うことで容易に判断することが可能であると近時の判例において指摘されています。

イ 患者が以前に過敏症を起こしたことがある薬剤やその類似物質の使用を避けるようにするため、患者の薬剤に対する過敏症があるかどうか尋ねる必要があります。

なお、問診は必ず医師が行うようにし、質問票への記載や看護師などによる予診のみで済ますことはないようにします。また、問診の結果については、問診票とともにカルテ等にしておくべきです。造影CT検査に伴う造影剤のアナフィラキシーショックで患者が死亡した事案において、病院側が、患者からアレルギーのないこと等を問診で確認したと主張したにもかかわらず、カルテ等に一切記載がないことを理由に問診がなかったと認定し、病院側の過失を認めた裁判例があります(東京地判平成15・4・25)。

(2)患者に対する説明と同意書面の取得
造影剤による副作用が発現する可能性も否定できないため、患者に対し、事前に書面を用いて説明を行い、書面で患者から同意を得るようにする。

(3)((1)、(2)の上で)造影剤による副作用が万が一生じた場合に備えた体制の整備
造影剤による副作用は、その約70%が造影剤を注入後5分以内に発現するといわれていることから、造影剤による副作用の対する初期対応としては、造影剤の投与開始後5分間は、必ず医師及び看護師が投与後の観察を行うことが求められます。

造影剤投与ではなく抗生剤の点滴投与の事例だが、アレルギー患者に抗生剤を投与したところアナフィラキシーショックを発症し、結果的に死亡した事例で、判例は、看護師が点滴を行った後に経過観察を行わないで退室し、アナフィラキシーショック発症後も投薬が継続されたこと、その後の医師による処置が適切でなかった(発症後10分以上経過後に心臓マッサージ開始、発症後20分以上経過後に気管内挿管、発症後40分経過後にアドレナリン投与)ことを理由に病院の責任を認めています(最判平成16・9・7)。

7.医師・医療機関に要求される医療水準(医療水準論)

当院及び当院の医師は、どの程度の医療水準を備えていることが法律的に要求されるのでしょうか。

 

1 医師や病院は、法的に期待されている医療水準を満たさない医療行為を行い、その結果、損害が発生した場合に、注意義務違反(過失)が認められ、民事上は損害賠償責任、刑事上は業務上過失致死傷の責任を追及されることになります。それでは、この医療水準というのは、どのように確定されるものなのでしょうか?

2 平成7年以前の最高裁の判断状況・・・医師の専門技術的裁量の尊重
最高裁判所は、東大輸血梅毒事件判決(昭和36年2月16日判決)において「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」と判示しました。

その後、日赤高山病院未熟児網膜症事件判決(昭和57年3月30日判決)、及び、新小倉病院未熟児網膜症事件判決(昭和57年7月20日判決)が、医療水準に関する具体的基準を定立しました。両判決は、東大輸血梅毒事件判決にいう「危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務」の具体的基準として、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」を提示しています。

これら判決のもっとも重要な特徴は、個別具体的な医療現場の実情に基づいて利益衡量を行なう判断手法を基礎として、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」を見い出そうとしたことです。したがって、かかる判例は、医療水準を策定する際に、医師の専門技術的裁量を尊重して判断していたということができます。

3 平成7年以降の最高裁の判断状況(医師の専門技術的裁量の排除)
⑴ ところが、未熟児網膜症に対して光凝固法という治療方法をとるべき義務があるか否かが争われた姫路日赤未熟児網膜症事件について最高裁判決(平成7年6月9日判決)が出されたのを機に、最高裁はその判断手法を大きく転換させ、それまでの利益衡量的な判断手法ではなく、医師・医療機関に対して最も高度の行為義務を要求する判断手法へと転換し、以降、最高裁は、医師・医療機関に対して極めて厳格な判断を下すようになっています。

⑵ そこで、まず、この転換となった姫路日赤未熟児網膜症事件判決(平成7年6月9日判決)の第1審神戸地裁判決と第2審大阪高裁判決を紹介いたしますと、両判決では、未熟児網膜症に対する光凝固法という治療方法が「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」(昭和57年の両判決より)となった時期を、厚生省研究班の研究成果の報告が医学雑誌「日本の眼科」に掲載された昭和50年8月とするいわば保守的な判断を行いました。

⑶ これに対して、最高裁の姫路日赤未熟児網膜症事件判決(平成7年6月9日判決)は、このような判断を排除して、「ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない。

そして、新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準というべきである。」と判示し、「医療水準」の定義を「(当該)診療契約に基づき(当該)医療機関に要求される医療水準」と若干修正したのです。

この判決は、一見すると、個別具体的に判断しているかのようにも読めますが、その意味するところは、実は医師や医療機関にとって極めて厳しい判断手法をとったことに大きな意味があります。

こうして、最高裁は、かかる判断手法をとることにより、第1審及び第2審の判断を修正し、その医療水準となった時期を昭和50年8月以前に繰り上げるように改めました。

すなわち、姫路日赤の「医療機関としての性格」を認定する際に、同病院が、新生児センターを開設して他の医療機関からの転医を引き受けつつ、さらに必要があれば光凝固法を実施できる兵庫県立こども病院に転医させる体制を整えている医療機関と認定し、また、患者は、同病院がそのような体制の整った性格の医療機関であると期待して、当該「診療契約」を締結したのだと認定したのです。そして、これらの認定を前提として、光凝固法に関する学会発表や追試報告がなされていた昭和46年頃まで繰り上げ、損害賠償義務を認定したのです。

4 医療水準論の現状
上述の転換点となった姫路日赤未熟児網膜症事件判決(平成7年6月9日判決)の極めて厳格は判断手法は、その後も維持されておりますので、医療機関が病院の態勢を整える上で、慎重な対応が求められることになります。

8.救急病院に要求される医療水準

二次救急医療機関において、専門でない科の疾患を受け入れたましたが、当院で対応できない場合、責任を問われるのでしょうか?

 

救急病院における医師の注意義務
ご質問の案件に関し、二次救急医療機関における医師がいわゆる救急専門医ではなく、脳神経外科医であったとき、医師としての注意義務の具体的内容や程度はどの程度のものが求められるでしょうか。この問題は、上述の医療水準論の応用形態とも言えます。

この問題に関し、救急医療における医師の治療上の注意義務が問題となった裁判例があります。この事件について、第1審の地裁判決は、担当医師の治療上の注意義務違反を認めず、原告の請求を棄却しました。これに対して、本件高裁判決は、担当医師の治療上の注意義務を認め、原告の請求を一部認容するに至りました。

判例としてはこの控訴審が重要となりますので、以下ご紹介します。
(大阪高等裁判所平成15年10月24日判決要旨)
「被控訴人らは、被控訴人YがAに対し施行した医療内容は2次救急医療機関として期待される医療水準を満たしていたと主張するので、この点を検討する。

証拠によると、我が国では年間2千万人の救急患者が全国の病院を受診するのに対し、日本救急医学会によって認定された救急認定医は2千人程度(平成5年当時)にすぎず、救急認定医が全ての救急患者を診療することは現実には不可能であること、救急専門医(救急認定医と救急指導医)は、首都圏や阪神圏の大都市部、それも救命救急センターを中心とする3次救急医療施設に遍在しているのが実情であること、したがって、大都市圏以外の地方の救急医療は、救急専門医ではない外科や脳外科などの各診療科医師の手によって支えられているのが、我が国の救急医療の現実であること、本件病院が2次救急医療機関として、救急専門医ではない各診療科医師による救急医療体制をとっていたのは、全国的に共通の事情によるものであること、一般的に、脳神経外科医は、研修医の時を除けば、心襄穿刺に熟達できる機会はほとんどなく、胸腹部の超音波検査を日常的にすることもないこと、被控訴人Yは、胸腹部の超音波検査が必要と判断した時には、放射線科あるいは内科に検査を依頼しており、自ら超音波検査の結果を読影することはなかったこと、当日、被控訴人Yとともに当直に当たっていた小児科の医師も、日常的に超音波検査をすることはなく、単独で超音波検査をすることは困難であったことが認められる。

そうだとすると、被控訴人Yとしては、自らの知識と経験に基づき、Aにつき最善の措置を講じたということができるのであって、注意義務を脳神経外科医に一般に求められる医療水準であると考えると、被控訴人Yに過失や注意義務違反を認めることはできないことになる。

杉本鑑定や金子鑑定も、被控訴人Yの医療内容につき、2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた、あるいは脳神経外科の専門医にこれ以上望んでも無理であったとする。

しかしながら、救急医療機関は、「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること」などが要件とされ、その要件を満たす医療機関を救急病院等として、都道府県知事が認定することになっており(救急病院等を定める省令1条1項)、また、その医師は、「救急蘇生法、呼吸循環管理、意識障害の鑑別、救急手術要否の判断、緊急検査データの評価、救急医療品の使用等についての相当の知識及び経験を有すること」が求められている(昭和62年1月14日厚生省通知)のであるから、担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容、程度が異なると解するのは相当ではなく、本件においては2次救急医療機関の医師として、救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うと解すべきである。

そうすると、2次救急医療機関における医師としては、本件においては、上記のとおり、Aに対し胸部超音波検査を実施し、心襄内出血との診断をした上で、必要な措置を講じるべきであったということができ(自ら必要な検査や措置を講じることができない場合には、直ちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求める、あるいは3次救急病院に転送することが必要であった。)、被控訴人Yの過失や注意義務違反を認めることができる。

以上のとおり、被控訴人Yに注意義務違反を認めることができ、被控訴人奈良県は債務不履行責任を免れない。他方、被控訴人Yについては、救急医療行為は、都道府県知事の認定した医療機関において行われるものであり、被控訴人奈良県が設置した本件病院での救急医療行為は公権力の行使に当たると解するのが相当であって、被控訴人Y個人は不法行為責任を負わない。」

9.説明義務

診療において,患者に対してどの程度の説明を行えばよいのか,いわゆる説明義務とはどのようなものか教えてください。

医療過誤訴訟では、治療行為の違法性(過失が存在するか)とともに,患者に対する説明義務違反も必ずといっていいほど争点となります。したがって,医師としては医療紛争となった場合に備えて,日常から患者に対して十分な説明を行うことを心懸ける必要があります。

それでは,実際にどの程度の説明を行えばよいのでしょうか。現実の医療の現場においては医学書に記載されていること逐一事細かに説明するなどいうことは不可能です。

最高裁平成13年11月27日判決は,手術を実施する際の説明事項として①診断(病名と病状),②実施予定の治療内容,③治療に付随する危険性,④ほかに選択可能な治療法があれば、その内容と利害得失や予後を挙げており(資料),日常の診療においても以上の4事項を念頭において患者に説明を行えばよいことになります。

<カルテへの記載,説明書の交付>
患者に対して治療に関する説明を行った際には,医療機関としてはこれを証拠化しておくことが重要です。証拠化の方法としては,説明内容の要約をカルテに記載する方法が一般的です。

なお,定型的な傷病については,上記の各説明を要する事項を記載した説明書を予め準備しておき,これを患者に配布する方法も有効です。この場合には,当該説明書をカルテに挟んでおけばよいでしょう。

いざ医療事故が起こった場合において,証拠保全手続でカルテが証拠として保全されたときには,当該カルテの記載等は特段の理由がない限りその真実性が担保されておりますので,医療機関側にとっては説明義務を果たしたことに関する有力な証拠となります。カルテに記載がない場合には,訴訟において医師の陳述書,証人尋問等で説明義務を果たしたことを立証していくこととなりますが,陳述書や証人尋問における証言は紛争になった後のものであり,カルテの記載に比べ信用性が低いと判断されることとなってしまいます。

また,カルテへの記載は,訴訟となった場合に有力な証拠となりますので,説明内容以外でも,例えば,治療方法の選択について証拠化しておきたい場合には,患者の症状や検査結果等の所見とともに治療方法を記載しておくという対応も有効です。

<説明義務に関する裁判例>
1 資料①
説明義務の内容(①診断(病名と病状),②実施予定の治療内容,③治療に付随する危険性,④他に選択可能な治療法があれば、その内容と利害得失や予後)につき判示している。

乳癌の治療につき,当時未確立であった乳房温存療法について説明すべき義務があるかにつき,一定の判断基準を示し,当該事例について説明義務を認定した。→他に選択可能な治療について説明する必要あり

2 資料②
帝王切開による分娩の際に,子宮筋腫等があったため,夫の代諾により子宮摘出を行った事案について,特段の事情がない限り医療行為の承諾は本人から得る必要があるとして説明義務違反を認定した。
→説明義務の相手方は原則として患者本人

3 資料③
患者が末期癌であり,治療・延命可能性がなく余命1年以内という場合において,医師が患者本人に告知すべきでないと判断した事案について,患者家族に対する告知義務違反を認定した。慰謝料120万円。
→患者本人に癌告知しない場合には,その家族に対して癌告知すべき

4 資料④
死亡の危険性のある手術について,その危険性についての説明義務違反を認定した。慰謝料100万円。

5 資料⑤
薬剤の投与に関して,投薬による副作用の危険性についての説明義務違反を認定した。慰謝料300万円。

6 資料⑥
胆石患者に対して胆摘出術を行うに際して,手術の危険性を特段説明しなかったことは説明義務違反に当たらないとした。
→4~6の事例から,治療行為の危険性についての説明義務の有無については,当該治療行為の危険性の高低が影響していることと判断できる。

 

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